会社概要

 

国東時間株式会社が開発したFLATS(フラッツ)の公式オンラインショップです。FLATS合同会社が運営を行います。

FLATS series の定番商品の常時販売の他、時には世に出ていない試作品や趣味の一品、特定の人にしか理解されないかもしれない品々も出品することがあります。

 

FLATSの製品概要ついてはこちら
https://kunisakitime.com/business/flats/

 

 FLATS(フラッツ)は国東時間株式会社が開発した立体造形システムです。立体形状を3軸(x,y,z)によって切断・解体し、これを再構築する造形手法です。1998年、FLATSは「段ボール製組立て式マネキン」として出発し、以来国東時間株式会社はこの造形システムを発展させながら、クラフト、ディスプレイ、パッケージ、ロボット、広告等さまざまな分野にむけ立体商品を開発しています。

 FLATSには二つの大きな特徴があります。ひとつは形態を自由に作成できること。コンピュータで設計された部品データは細密レーザー加工機によって一つひとつカッティングされます。金型を必要としないので小ロット生産が可能であり、デザイン・試作・商品化にいたる行程を短期間で行うことができます。またモデルの拡大縮小が自由に行えるので、スケールダウンしたミニチュアや大きな構造物も製作が可能です。

 FLATSのもう一つの特徴は多様な素材を使えるということです。紙や木素材、アクリル、金属など、レーザーでカットできる板材はすべて部品として使うことができます。特に紙素材は色紙や印刷した紙を貼り合わせることによってバリエーションが飛躍的に拡大します。

 このFLATSの二つの特徴を発展させながら、国東時間株式会社およびFLATS合同会社は国内外の市場に向けて立体商品を送り続けています。

 FLATSはいわゆる「表面」を持ちません。表面にあたる部分はレーザーで切り出され内部構造が露出した段ボールシートの断面が非連続的に連なります。鑑賞者はそれらの部品と部品の間をイメージで補完し、ひとつの像として認識します。この架空のフォルムはそれを支持する建築的な構造によって成り立っており、フォルムと構造のバランスがFLATSの最も大きな特徴です。

 

 

FLATS合同会社

 2019年3月5日設立。同年4月より国東時間株式会社との契約によりFLATS商品の国内での独占的な製造と(卸)販売を開始しました。

 

 

国東時間株式会社

 1998年7月3日、国東時間株式会社は大分県国東市安岐町に設立されました。建築家であった現国東時間株式会社代表の松岡勇樹が1995年に考案した組立て式段ボール製マネキンを製造・販売することを主な事業としてはじまりました。以来、国東時間株式会社は市場からのリクエストに応えながらさまざまな分野で商品開発を行ってきましたが、その設計コンセプトの背景にあるのはつねに「建築的思考」です。

 FLATS製品のモノづくり、国東時間株式会社のビジネス、そこに参加する人々の暮らし、地域共同体として役割、すべてが一つのコンセプトの延長線上で設計されています。現在FLATS製品は国内はもとより、北米、ヨーロッパ、アジア、中東など世界の国々に輸出されています。国東時間株式会社はこれからもモノづくりを通して、この国東から世界に向けて価値ある情報を発信していきたいと考えています。

 

 

松岡勇樹

 1962年大分県国東市生まれ。武蔵野美術大学建築学科修士課程修了後、建築構造設計事務所勤務を経て、独立。1995年ニットデザイナーである妻の個展の為にFLATSのプロトタイプとなる段ボール製マネキンを制作。

 1998年、生まれ故郷である国東市安岐町に国東時間株式会社を創業、代表取締役社長。2001年「段ボール製組立て式マネキン」でグッドデザイン賞受賞。2004年第二回大分県ビジネスプラングランプリで最優秀賞受賞(賞金1500万円)、本賞金をもとに設備を拡充、雇用を拡大し、現在の事業形態となる。

 2009年から、廃校になった旧西武蔵小学校を国東市から借り受け、事業の拠点としている。日本文理大学建築学科客員教授。

 

 

国東時間

 国東時間株式会社は5年前から国東市の中山間部にある、今は廃校になった小学校を拠点にして、国東半島の豊かな自然に囲まれながらモノづくりを行い、国内外の市場へ製品を出荷しています。

 私たちは2013年6月から、よりクリエイティブで効率のいい仕事、そしてより精度の高い製品づくりをめざし、週休三日制を導入しました。お休みの日には釣りをしたり、山歩きをしたり、読書をしたりと、国東の固有の時間を取り込んでくれればいい。それが個人のスキルアップにつながり、その結果、会社の事業効率をあげることになる、という考え方です。

 都会の時間にあわせるのではなく、自分たちが住む国東の固有の時間のなかで、それを取り込みながらオリジナルな仕事をしていく、そういう意味で私たちはこれを「国東時間(くにさきじかん)」と名付けました。